生きる為のひとつ

趣味で小説を書く者です。

タイトル未定

タイトルはまだ未定の小説です。パッと思いついたものなので今後書くか分かりませんが、書いたところまで載せます。

 

 

 

僕は、人より幸せだ。

生まれてからお金や対人関係に苦労をした事がない。

祖父母も、父も母も、少し病弱な婚約者も毎日笑顔で暮らしている。

あまり勉強をした事も無いのに、何故か良い大学に入り、一流企業に就職した。

人生にこんな簡単で良いのか?と自問した事もあったが、僕はたまたまツイているだけだ、人より運が回るのが早いんだ、と自答した。

余計な事を考えるのは疲れるし、考えない方が幸せだと思わないだろうか。

だから僕は呑気に生きてきた。

「過去も今」も、僕は幸せなのだ。

そう言うけれど実の所、僕は過去の事をあまり覚えてはいない。

苦労した事が無いと言ったけれど、その記憶はいつも走馬灯の様に一瞬にして流れるだけで、全ての過去の記憶は正直ハッキリしたものではない。

それでも不自由をしていないのなら良いじゃないかと思っていたのだけれど、今度行われる僕達の結婚式で皆に向けてお互いの昔の話をする事になった。

こんなきっかけが無い限り僕の性格上、過去を気にするような人間ではないので、過去を深く思い出してみようなんて考えなかっただろう。

この出来事をきっかけに、僕は深く知りえなかった全ての過去と真実を知る事になった。

 

 

 

@harukisn

ふと我に返り感傷に浸る

いつもはおちゃらけた阿呆を演じている私ですが、そういう阿呆の最中にふと我に返り「自分はこんな阿呆な事をしてていいのか。どっちが本当の自分なんだ。私の生きる価値はなんだ」と考える時があります。

そもそも人に価値を付けることは無意味だと思っていますが、価値を見いだされた人間程生きる事に貪欲になるのではないでしょうか。

人は二度死ぬと申しますが、私の中での死はやはり元々唱えられている肉体的な死と、もう一つ精神的な死があり、私は既に精神的な死を迎えていたので、価値を付けられる程の人間ではございません。

私の精神的な死とは経験からして、社会からリストラされ孤立し、精神病にかかり、皆が居なくなった後残る物はお金ひとつも無いという事が私にとっての精神的な死であり、私はその限界をも超えた位置に着陸しています。

悲しみはお金に代えられるものではありませんが、傷心旅行をするのにもお金はかかるでしょう。

ふと我に帰った時にこの事が一瞬のうちに頭を過り、私がどれほど塵や屑よりも価値がない存在なのかという事を改めて脳内や心に捩じ込まれます。

そんな私が今生きている理由もどこかにあるかもしれません、私が生きてても誰かが価値を見いだしてくれるかもしれない、ふとした所で何か才能に芽が出て誰かが良くしてくれるかも知れない、そんな他人任せで卑劣な淡い期待を胸にただ毎日無意味な時間を過ごしているのです。

これも感傷に浸るとでも言うのでしょうか、私にはわかりません。

人生において全てがマイナスでしか無かった私にとって、人生そのものが感傷に浸る事を引き起こす要因として、私に居座ってるのかも知れません。

まだ二十一なのにそんな、精神病だなんて、気の持ちようよ、シャンとしなさい、とどれだけ多くの人に言われても私を動かしていたはずの私ももう既に何者かに停止させられてしまっている。

そんな私になんの価値が有るのでしょうか。

 

 

@harukisn

なんの為

なんの為に生きているかと言う永遠の問を考えているうちは、本当の意味にいつまでもたどり着けないのかもしれない。

一人になると何か沢山の事を考えて嬉しい気持ちになったり悲しくなったり、頭の中がお祭り騒ぎになるけれど、嬉しい気持ちにさせる想像と悲しい気持ちになる想像を比べると残り香として残るのは悲しい気持ちばかりで、自分は駄目なのかと追い詰めてしまう。

どうしたら考えなくて良くなるのだろうと考えて、考えないようにしようと意気込んでも、考えないようにしないことを意識して余計にもわん!とアイデアにも似つかない謎の思考が湧いてでる。

こんなに沢山の感情をもちあわせている生き物が本当に幸せなのかと考えると、無知で何も考えない石ころにでも生まれた方が、人に蹴られてころころ色々な場所に行ったり散らばったりする、そんな人生の方が幸せなのだろうかと謎の空想をして謎の入り浸ってしまう。

そもそも人間界って本当に神様の下世界で有れるほど良い位置に居るのだろうか、本当に謎だ。

なんの為になんの為にと考えさせられて居るのは人間は考える葦である以上無くならないし、定期的に悲しくなるのも考える葦としての任務なのかもしれない。

けれどやはり人間とは本当に謎だ。謎だ、謎だ。

 

 

 

@harukisn

生存確認と遅れての明けましておめでとうございます。

こんばんわ春生です。

ブログは十月ぶりに更新します、そして三ヶ月越しの明けましておめでとうございます。

 

十月からなにも更新せずツイッターにも姿を現さず小説も投稿せず何をしていたんだろうというのは疑問に思うかも知れませんが、特に変わった事もなくただ平々凡々と過ごしていました。

そうしたら数ヶ月経ってしまいコイツ生きてるのかなんて思われてもおかしくは無いですが、私の事を細かくチェックする人など恐らくいないと思いますので、余計にフワフワした状態でした。

 

ここ最近人生について自分の糧になりそうな自己啓発本を探しているのですが、中々いいなと思うものが見つかりません。

そこで思ったのが自分が今まで困難にぶつかった時人生迷った時何に助けられたのだろう、と思い返してみると全て乗り越えたのは自分の身近な人や自分で乗り越えてきたな、と思いました。

お気に入りの本を読んで心が満たされたり色々な事を考えさせられたりしますが、自分を突き動かせるのは自分自身なのかもしれません。

だったら自分が今まで困難に立ち向かってきた時はどんな事をして乗り越えてきたのか、なんてものをまとめた自分だけの自己啓発本のようなものをノートに本の真似事をしてまとめてみるのはどうだろうか!と浅はかな考えをしております。

思い立ったら即行動しないと気が済まないタイプなので時間を見つけて書いてみようかなあ、という風に思っています。

これが自己啓発本と言えるのかはわかりませんが、やらないよりやる方が自分を見つめ直すきっかけになるかも知れません。

 

それではまた近いうちに。

 

 

春生志乃

@harukisn

海外のアニメ、考えさせられる

こんばんは、春生です。

 

海外の言葉がない、吹き替えがない映像だけのアニメを見ました。

その話は簡単にまとめると、親が仕事をしている時にちょっかいを掛けて気を引こうとしてイタズラするけれど結局悪さばかりしてしまい、こっぴどく怒られ泣いていると、親は子供が気になり結局遊んでやる、という感じのお話でした。

こんな何気ない様な話ですが、私はこの映像だけのアニメと言うのはすごく考えさせられるものだなぁと思っています。

日本の普通のアニメのように言葉があれば感情の起伏などでその人がどのような感情で、どう考えているかなどがわかりやすいですが、映像だけとなるとよく分からないこともあります。

登場人物の表情を読み取ってどんなことを考えているのかを考えないといけないし、展開の整理も一瞬のうちにしないといけない。

すごく考えさせられるし、頭も使うなぁ、と思います。

作品の話に戻りますが、私はこの作品を見た時、子供に感情移入しながら見ていたので、自分が子供の時のことを思い出しました。

そしてなんだか悲しくなりました。

子供の時は親が居るから遊んでもらえたし、親が居るから泣いたりした時に幸せな気持ちにさせて貰ったりしました。

じゃあ親もみんな居なくなったら?と考えたらやはり悲しくなりました。

こういう事って、普段じゃなかなか思い出したり思ったりしません。

当たり前の事は当たり前にあるものだと思っているので、早々考えたりしません。

何かきっかけがあった時に、ああそうなんだと思い出すくらいで。

当たり前の事を当たり前と思うのはどちらかと言えば幸せな事なのでしょうが、幸せの先には悲しみが待っているのだと考えると、なんだか悲しくなりますね。

話が脱線しましたが、私は外国のアニメで考えさせられ当たり前の事を思い出した、という話でした。

 

ではまた。

 

@harukisn

 

なんだか疲れた

なんだか疲れた。

なんだか疲れると言っても一つの事に疲れているのではない、複数の事に疲れている。

本当の自分を隠すのが一番に疲れる。

誰かに自分を隠すのが疲れる。

自分を騙して自分を隠すのが疲れる。

けれど大抵の人は自分の意志を押し殺したり、自分を抑制する事で社会の一部として成りたてている。

そんな人達に辛くは無いのかと聞いても、辛いという人もいれば辛くは無いと言う人もいる。

疲れるのかという事には、疲れると言う。

皆、言葉にしないだけで、私よりも疲れている。

けれど私はオカシイので他の人の考えなんかはあまり気にしたりしない。

自分に甘い、根性が無いとよく言われるけれど、私が私に甘えないで他に誰が自分を甘やかしてやるのか。

人に甘えるより自分に甘えた方が他人にはあまり迷惑をかけない。

煙草だって自分に甘いから辞められない。

そんなお金を出して寿命縮めるなら吸わん方がいい、と言うけれど、私は敢えて吸っている。

わざと寿命を縮めているのかもしれない。

こんなことばかり考えて人生疲れないのかとも言われるが、そんな事聞かずでも疲れない訳が無い。

考えるという事は人間の真意で当たり前の事だから、私は疲れることについて考えたり、悩んだりする。

けれどやっぱり疲れてしまう。

ああ疲れる、ああ疲れる。

 

 

@harukisn

軽い文字

 こんばんは、春生です。

十月になり、夜が肌寒くなってきました。

過ごしやすく犬の散歩がとても捗ります。

 いつもは敬語か堅苦しい文字で色々書いていますが、本当の自分は言葉遣いも汚い上に軽い言葉でばかり喋っています。

今日は軽い文字でお話していこうと思います、気楽に。

 

 

 

 

最近思う事。

昔の小説、自分が投稿したのが二〇十五年だから、約3年前の小説を読み返すとすごく恥ずかしい。

こんな小説野晒にしてていいのかなんて思ってる。

一部は非公開にしているけれど自分で書いたもんはくそほど恥ずかしく感じる。

社会に不平不満持ってた頃の方がすごい小説を書くスピードも早かった気がする。

延々と社会に文句垂れ流してたら気付いたら一本書いてて、それが同じ思いとか同じような観点をしている人達にウケたからあの時は小説書いてても、いや、私小説を書くのがとても楽しかった。

でも病気をして外に出なくなってから不平不満すらなくなって、ほんとに何も考えてないアホみたいになって、そんなやつが面白い小説かける訳も無くて、結局半年とか一年更新しないまま気づいて投稿したりする。

そんなんで面白いもんかける訳もない。

個性が失われていく気がする。

書いてるうちに言いたいこと書きたいこともまとまんないから余計に書けなくなるのが辛い。

不平不満垂れ流すよりもつまらん人生になってる。

暇だったらそんな事うだうだ考えてる。

個性って何とか、そんな事考えてたら哲学みたいで答えなんか無いのに答えの無いものをうだうだ考えてる。

一人でうだうだ考えるのが好きなのかもしれない。

一人でうだうだ考えてたのを文字に起こしたらこんなラフな文体になっちゃう。

ラフな文体って面白くもありつまらない。

小説って堅苦しい言葉の方がなんか面白くて笑けてくる。

小説を書くのってほんと色々考えないといけないし難しい、でも出来上がった時にほんとに面白い。

小説って何みたいなのを哲学みたいに考えててもなんも答えなんか出ないけどなんか考えちゃう。

無駄な事なら幾らでも考えられるのに。

 

 

 

 

ラフな感じで思ってる事書いてみました。

言葉にまとまりが無くて申し訳ないです。

こっちの方が良いなんて人、居ないと思いますけどね(笑)

こんな感じで軽く書いてみたよ、と言う記事でした。

ではまた。

 

@harukisn