五月の御話
ブログに書いていたか覚えていませんが、五月に青森の方へ行ってきました。
その時のことをちっとばかし、書こうと思います。
私が青森に行った理由は太宰の生家に行く為でした。
元々東北に住んでいるので、2時間ほどで青森につきました。
1日目は大したこともせず、弘前城へ行ってお城に登ったり、美味しいものを食べたり、お土産を買ったり送ったり、サラッとした観光をしました。
2日目に、待ちに待った太宰の生家へ足を運びました。
太宰の生家へ行くには、弘前から(私は弘前から行きました)五能線で五所川原に行き、同駅内にある津軽鉄道に乗り換え(津軽五所川原)ると金木まで行けました。
(乗車した鉄道内風景)
金木へ到着して、太宰の生家へ行こうとしたらその手前に太宰疎開の家というものがありました。
今回はその疎開の家についての御話です。
第二の家とも言える疎開の家は入った時には私と同行者しかおらず、とても静かでした。
まず見物していると、ガイドをしてくれるという男性が居りましたので、ガイドをしていただきました。
語り手(ガイドの方)は太宰の幼少期の事や、太宰が何故自分の人生を悲観したのか、こと細かく教えていただきました。
太宰の生家はそんなに大きいものではありませんが、物はそんなに無きにしろ生活感があるような気がします。
太宰が幼少期に座っていたと言われるソファはボロボロになって、一室にあった事はよく覚えています。
太宰のお母様が亡くなった部屋で話を聞いたのですが、そのお母様が亡くなった話を聞いた時に何故か感情が高ぶって号泣してしまいました。
語り手が上手いせいもあるのか、太宰がその景色を見せてくれたのか、私は一瞬だけその風景が頭に流れてきて、その話を自分の事のように感じました。
その場には後から来た老夫婦もいたのですが、所構わず泣いてしまったのがとても恥ずかしかったです。
けれどそれくらい、何か感じるものがありました。
そして太宰が書いていたと言われる部屋に行きました。
太宰がそこからどのような景色を見て小説を書いたのか、とても気になりました。
そうすると語り手の方が座ってください、と一言かけて下さり座ってみました。
なんだか焦れったい思いと、嬉しい気持ちが混じり合い、私はすぐに席を立ちましたが、太宰が座っていたその席に座ると文才が開花するとかしないとか。
(私は座って二ヶ月経つが、一切文才の欠片も湧いてはおりません。私に文才は無いからです)
そこは誰でも座れる場所なので、是非座っていただきたいです。
ざっと疎開の家について話しましたが、話せないことが山積みです。
話してはいけないのか、と言うより是非行って聞いた方がとても楽しく、とても泣けると思いますので、あまり詳しくは書きません。
そこにいるガイドの方についてですが、本当に御話が上手で、泣いている私にティッシュを差し出してくれる優しい方です。
太宰の生家に訪れる人は多くても、太宰疎開の家に行く方はそんなに来られないんですよ、とその方は話していましたが、私は生家よりもまず初めに(生家もとても趣深かったですが)疎開の家に行ってよかったな、と心から思いました。
そう思えるほどに、太宰疎開の家は素晴らしかったですね。
もしスルーして行かなかった、という方がいれば是非そちらに行った方が良いかと思います。
生家の話や太宰の像がある所へも足を運んだので、今度それも御話したいものです。
最後まで見て頂き、ありがとうございました。
@harukisn