生きる為のひとつ

趣味で小説を書く者です。

戯れ言

一枚の紙を用意した。

何をするのか、もちろん小説を書く為だ。

書く事は容易いけれど、書いていると私の場合は無になって、四方八方から余念が入る。

私は誰かに必要とされているのか、ずっとそれが頭を過る。

私は人より感情を表に出すことが出来ない。

最近は輪の中に居る事が多く、周りが話していても私は自分から会話に入る事は無い。

入らないと言うより、私が入らなくても現状として、その場は普通に成り立っている。

そこで私が入って余計な事を言ってしまったら、と思うと私は怖くなって黙る。

黙っていたら変な奴だと思われる。

私が喋らない人間だと知っているなら良いが、知らない人なら不信がる。

では私はそこに居なくても良いのかと問うと、友人は「そこにいるだけで良い」と言うが、その場では一言掛けられて安心しても、また同じ状況に苛まれる。

それは結論から言えば「居ても居なくても同じだが、居てくれた方が都合が良い事もあるのだから居てほしい」という事なのだ。

何故そう思うのか、私はこっそり聞こえたあの一言を忘れていない。

「自分に都合が良い人間だけで良い」

そうだ、私はニコニコして肯定するだけの、都合が良い人間なのだ。

考えを巡らせるのならそんな人間など辞めれば良い、そう言われた事もあった。

けれどこの顔は引っ付いてはなれない、何処にも逃げる事は出来ない。

私はずっとこの思いを密かに抱えて生きていくのだ。

こんな文を今までずっと沢山書いては来たものの、この文を見て一体誰が面白がるのか。

こんなもの私の一個人の愚痴のようなものだ。

だから多くの人に見てもらえない、多くの人が見てもつまらない。

では何のために私は文を書き続けているのか。

これは只の自己満足なのではないか。

けれど私から文を取ったら何が残るのだ。

そうだ何も残らない、只の引き篭もっていて、社会から見たら害虫でしかない存在だ。

私が生きている価値は、何処かにあるのだろうか。

 

 

 

 

@harukisn