春生の人と共存できません。

趣味で小説を書く者です。

人生楽しい、楽しくない

こんばんは、春生です。

 

タイトルにも書いていますが、人生楽しいか楽しくないかそう聞かれた時、私は今どちらなのかと改めて考えました。

改めてそれを考えるとなるきっかけは、色んな人と会話することです。

楽しいという人もいれば楽しくないという人もいます。

人生がどん底でもプラスに出来事を捉えて楽しいと思う人もいれば、優雅な生活を送っていてもつまらないとマイナスに考える人もいます。

そんな中私は一人の人を面白いなこの人、と思うようになりました。

その人は幼少期色々な問題を抱えて家庭環境が劣悪な状態でどん底をさ迷っていました。

けれど、会って間もない私に笑ってその家庭環境を話してくれました。

全く辛い様子も無く、寧ろその家庭環境を作った親を貶しつつ、どこか感謝している様でした。

その人の話を聞いた時、私はこの人は凄い人だなと思いました。

私も幼少期は母子家庭で家のお金が10円しかない、家賃もまともに払えない、そんな生活を送っていました。

それを誰に咎めることも無く生活して今、無事成人を迎えました。

けれどその中でも色々なことがあり心を病み、死ぬ1歩手前まで来たこともありました。

その中でどうして自分はこうなったんだろう、と考えた時に幼少期の事を思い出し、それを理屈にしました。

初めて親に「こんな家庭に生まれたからこうなった」と言った時のことも思い出しました。

いい歳した大人になって言うことじゃないと、今思えばそう思うことができます。

それを理屈にしなければ、生きてる意味も見い出せないと思っていました。

でも先に話したその人は違いました。

同じ劣悪な環境にいたにも関わらず、その環境を咎めることも無く、とてつもなく出世しました。

その人がそこまで辿り着くのにも色々な出来事があったかと思います。

けれどそれをプラスとして捉えられるほど、その人は人間として凄いなと改めて思いました。

私は家庭環境を笑って誤魔化す事も、プラスに捉えることも出来ない、人間としてクズだったに過ぎません。

 

最初の話に戻りますが、人生楽しいか楽しくないか、という話ですが、私は今どちらでもありません。

楽しいか楽しくないか、それは一年前までは楽しくないし生きてても仕方ない、と思っていました。

けれど今はどちらでもない、とはっきり言えます。

楽しくないというのはその環境に甘えているからなのだ、とそう思います。

楽しくない環境でもプラスに捉えて楽しいに変えられるような人間になった時、私は改めて人間として少し成長するのだと思います。

まずは楽しくないよりもどちらでも無い、に変えることが重要なのかと思います。

楽しくない、を一気に楽しいに変える事よりも、どちらでもない、という楽しい楽しくないの中間に立つことで、楽しいという少しの景色も見えてくるのだと思います。

ならばどちらでもない、と言うのは、楽しくない、よりも成長したのでは無いでしょうか。

そう気付くのにも、人との巡り合わせなのでしょうね。

 

文がまとまっていませんが、読んでくれてありがとうございます。

ではまた。

 

@harukisn