生きる為のひとつ

趣味で小説を書く者です。

なんだか疲れた

なんだか疲れた。

なんだか疲れると言っても一つの事に疲れているのではない、複数の事に疲れている。

本当の自分を隠すのが一番に疲れる。

誰かに自分を隠すのが疲れる。

自分を騙して自分を隠すのが疲れる。

けれど大抵の人は自分の意志を押し殺したり、自分を抑制する事で社会の一部として成りたてている。

そんな人達に辛くは無いのかと聞いても、辛いという人もいれば辛くは無いと言う人もいる。

疲れるのかという事には、疲れると言う。

皆、言葉にしないだけで、私よりも疲れている。

けれど私はオカシイので他の人の考えなんかはあまり気にしたりしない。

自分に甘い、根性が無いとよく言われるけれど、私が私に甘えないで他に誰が自分を甘やかしてやるのか。

人に甘えるより自分に甘えた方が他人にはあまり迷惑をかけない。

煙草だって自分に甘いから辞められない。

そんなお金を出して寿命縮めるなら吸わん方がいい、と言うけれど、私は敢えて吸っている。

わざと寿命を縮めているのかもしれない。

こんなことばかり考えて人生疲れないのかとも言われるが、そんな事聞かずでも疲れない訳が無い。

考えるという事は人間の真意で当たり前の事だから、私は疲れることについて考えたり、悩んだりする。

けれどやっぱり疲れてしまう。

ああ疲れる、ああ疲れる。

 

 

@harukisn

軽い文字

 こんばんは、春生です。

十月になり、夜が肌寒くなってきました。

過ごしやすく犬の散歩がとても捗ります。

 いつもは敬語か堅苦しい文字で色々書いていますが、本当の自分は言葉遣いも汚い上に軽い言葉でばかり喋っています。

今日は軽い文字でお話していこうと思います、気楽に。

 

 

 

 

最近思う事。

昔の小説、自分が投稿したのが二〇十五年だから、約3年前の小説を読み返すとすごく恥ずかしい。

こんな小説野晒にしてていいのかなんて思ってる。

一部は非公開にしているけれど自分で書いたもんはくそほど恥ずかしく感じる。

社会に不平不満持ってた頃の方がすごい小説を書くスピードも早かった気がする。

延々と社会に文句垂れ流してたら気付いたら一本書いてて、それが同じ思いとか同じような観点をしている人達にウケたからあの時は小説書いてても、いや、私小説を書くのがとても楽しかった。

でも病気をして外に出なくなってから不平不満すらなくなって、ほんとに何も考えてないアホみたいになって、そんなやつが面白い小説かける訳も無くて、結局半年とか一年更新しないまま気づいて投稿したりする。

そんなんで面白いもんかける訳もない。

個性が失われていく気がする。

書いてるうちに言いたいこと書きたいこともまとまんないから余計に書けなくなるのが辛い。

不平不満垂れ流すよりもつまらん人生になってる。

暇だったらそんな事うだうだ考えてる。

個性って何とか、そんな事考えてたら哲学みたいで答えなんか無いのに答えの無いものをうだうだ考えてる。

一人でうだうだ考えるのが好きなのかもしれない。

一人でうだうだ考えてたのを文字に起こしたらこんなラフな文体になっちゃう。

ラフな文体って面白くもありつまらない。

小説って堅苦しい言葉の方がなんか面白くて笑けてくる。

小説を書くのってほんと色々考えないといけないし難しい、でも出来上がった時にほんとに面白い。

小説って何みたいなのを哲学みたいに考えててもなんも答えなんか出ないけどなんか考えちゃう。

無駄な事なら幾らでも考えられるのに。

 

 

 

 

ラフな感じで思ってる事書いてみました。

言葉にまとまりが無くて申し訳ないです。

こっちの方が良いなんて人、居ないと思いますけどね(笑)

こんな感じで軽く書いてみたよ、と言う記事でした。

ではまた。

 

@harukisn

深夜の戯言

今晩は、春生です。

約二ヶ月ぶりの更新になります。

好きな音楽でも聴きながら、眠れない夜を過ごしている今日この頃です。

最近は本当にぼぅっとしています。

思考が停止していると言うより、何も考えないようにしているに近いです。

やる事なんて生きていれば幾らでもあるのに行動にも移せず、ただぼぅっとしているだけで、一日が終わっていたり。

 

話は変わりますが、私の時間は二○十六年から止まっています。

二○十六年と言えば、私は丁度大学一回生でうつ病になり引きこもり始めた時です。

引きこもりが時間の概念が分からなくなるように、私も時間の概念が活発だった時期から止まっています。

毎年二○十六年だと思っています。

だからふと今は二〇一八年だと教えられた時にとても信じられません。

その度に私はこの二年何をして居たのか考えを巡らせたりした時に、何もしていなかったのだと知り絶望したりします。

けれどその二年間に半年程働いた記憶は鮮明に覚えています。

精神病の完治は中々無いと言いますか、治ったと思ってもそれはただ症状が軽くなっただけだと言うのをよく聞きますが、私もたまたま軽くなった時一瞬働いただけなのです。

ほんの一瞬この二年のほんの一瞬、外と関わりを持ったのはそれ位です。

話は戻りますが働いていても時間は二〇一六年だと思っていたので、それでも止まっているのはその時で頭なのか心なのかは分かりませんがその時に止めておいた方がいいと勝手に思っているのかも知れません。

 

こうやって冷静な時に文字に起こすと、本当に自分がゴミだと思ったり、余計に苛む事になるのですが、それを今後の自分に突き付けるためには意味のあることなのではと思います。

こうやってゴミの様にしている今を綴っておけばこの先思い出して見た時にこんな自分よりは今の方がマシだと少しでも未来の自分に思ってほしいですね。

話が飛び飛びで読みにくかったかと思います、申し訳ない。

以上、春生の生存報告でした。

ではまた。

 

 

@harukisn

 

 

色々。

今晩私の住んでいる所は、エアコンの無い私の部屋でもとても過ごしやすい気温でとても安心している春生です。

 

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ツイッター、ブログのアイコンが変わったかと思います。

五分程でサッと描いたものをアイコンにしてみました。

女で煙草ってなんだか嫌われがちですが、私は喫煙者なので煙草を付け加えて描いてみました。

 

 

ここ数時間なんだか辛いな〜と思う事があったのですが、辛いといちいち口に出して言える相手も居ないのでブログに書いてみたいと思います。

相手が居ないって、友達や恋人は居ないの?みたいな疑問も生まれますが、友達や恋人や家族だからこそ、小さな事で辛い苦しい、と言うことは中々言いづらいんですよね。

自分が陰鬱な事を口走れば相手を不快にさせるかもしれないし、どんな事で他人との関係にもつれが出るかもわからないので、あまり言えません。

現に私の愚痴のせいで関係を拗らせてしまった友人も居ます(もう関わりはありませんが)。

色々な事を経験したからこそ、余計に人に話せずうじうじ蛆虫みたいに一人で布団に包まって泣くと言うのが一番有意義なストレス解消なんじゃ無いかな〜とか思っています。

人と話す事自体は簡単だけれど、相手を傷つけないようにと心掛けて話す事は結構思っているより難しいのかもしれません。

私が未熟だからこそ、こんな小さな事でも悩んでしまうのですね。

 

なんだか支離滅裂になってしまったのでこの辺で失礼します。

 

@harukisn

 

 

五月の御話

ブログに書いていたか覚えていませんが、五月に青森の方へ行ってきました。

その時のことをちっとばかし、書こうと思います。

 

 

私が青森に行った理由は太宰の生家に行く為でした。

元々東北に住んでいるので、2時間ほどで青森につきました。

1日目は大したこともせず、弘前城へ行ってお城に登ったり、美味しいものを食べたり、お土産を買ったり送ったり、サラッとした観光をしました。

2日目に、待ちに待った太宰の生家へ足を運びました。

太宰の生家へ行くには、弘前から(私は弘前から行きました)五能線五所川原に行き、同駅内にある津軽鉄道に乗り換え(津軽五所川原)ると金木まで行けました。

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(乗車した鉄道内風景)

 

 

金木へ到着して、太宰の生家へ行こうとしたらその手前に太宰疎開の家というものがありました。

今回はその疎開の家についての御話です。

第二の家とも言える疎開の家は入った時には私と同行者しかおらず、とても静かでした。

まず見物していると、ガイドをしてくれるという男性が居りましたので、ガイドをしていただきました。

語り手(ガイドの方)は太宰の幼少期の事や、太宰が何故自分の人生を悲観したのか、こと細かく教えていただきました。

太宰の生家はそんなに大きいものではありませんが、物はそんなに無きにしろ生活感があるような気がします。

太宰が幼少期に座っていたと言われるソファはボロボロになって、一室にあった事はよく覚えています。

 

太宰のお母様が亡くなった部屋で話を聞いたのですが、そのお母様が亡くなった話を聞いた時に何故か感情が高ぶって号泣してしまいました。

語り手が上手いせいもあるのか、太宰がその景色を見せてくれたのか、私は一瞬だけその風景が頭に流れてきて、その話を自分の事のように感じました。

その場には後から来た老夫婦もいたのですが、所構わず泣いてしまったのがとても恥ずかしかったです。

けれどそれくらい、何か感じるものがありました。

 

そして太宰が書いていたと言われる部屋に行きました。

太宰がそこからどのような景色を見て小説を書いたのか、とても気になりました。

そうすると語り手の方が座ってください、と一言かけて下さり座ってみました。

なんだか焦れったい思いと、嬉しい気持ちが混じり合い、私はすぐに席を立ちましたが、太宰が座っていたその席に座ると文才が開花するとかしないとか。

(私は座って二ヶ月経つが、一切文才の欠片も湧いてはおりません。私に文才は無いからです)

そこは誰でも座れる場所なので、是非座っていただきたいです。

 

ざっと疎開の家について話しましたが、話せないことが山積みです。

話してはいけないのか、と言うより是非行って聞いた方がとても楽しく、とても泣けると思いますので、あまり詳しくは書きません。

そこにいるガイドの方についてですが、本当に御話が上手で、泣いている私にティッシュを差し出してくれる優しい方です。

太宰の生家に訪れる人は多くても、太宰疎開の家に行く方はそんなに来られないんですよ、とその方は話していましたが、私は生家よりもまず初めに(生家もとても趣深かったですが)疎開の家に行ってよかったな、と心から思いました。

そう思えるほどに、太宰疎開の家は素晴らしかったですね。

もしスルーして行かなかった、という方がいれば是非そちらに行った方が良いかと思います。

生家の話や太宰の像がある所へも足を運んだので、今度それも御話したいものです。

 

最後まで見て頂き、ありがとうございました。

 

 

@harukisn

 

戯れ言

一枚の紙を用意した。

何をするのか、もちろん小説を書く為だ。

書く事は容易いけれど、書いていると私の場合は無になって、四方八方から余念が入る。

私は誰かに必要とされているのか、ずっとそれが頭を過る。

私は人より感情を表に出すことが出来ない。

最近は輪の中に居る事が多く、周りが話していても私は自分から会話に入る事は無い。

入らないと言うより、私が入らなくても現状として、その場は普通に成り立っている。

そこで私が入って余計な事を言ってしまったら、と思うと私は怖くなって黙る。

黙っていたら変な奴だと思われる。

私が喋らない人間だと知っているなら良いが、知らない人なら不信がる。

では私はそこに居なくても良いのかと問うと、友人は「そこにいるだけで良い」と言うが、その場では一言掛けられて安心しても、また同じ状況に苛まれる。

それは結論から言えば「居ても居なくても同じだが、居てくれた方が都合が良い事もあるのだから居てほしい」という事なのだ。

何故そう思うのか、私はこっそり聞こえたあの一言を忘れていない。

「自分に都合が良い人間だけで良い」

そうだ、私はニコニコして肯定するだけの、都合が良い人間なのだ。

考えを巡らせるのならそんな人間など辞めれば良い、そう言われた事もあった。

けれどこの顔は引っ付いてはなれない、何処にも逃げる事は出来ない。

私はずっとこの思いを密かに抱えて生きていくのだ。

こんな文を今までずっと沢山書いては来たものの、この文を見て一体誰が面白がるのか。

こんなもの私の一個人の愚痴のようなものだ。

だから多くの人に見てもらえない、多くの人が見てもつまらない。

では何のために私は文を書き続けているのか。

これは只の自己満足なのではないか。

けれど私から文を取ったら何が残るのだ。

そうだ何も残らない、只の引き篭もっていて、社会から見たら害虫でしかない存在だ。

私が生きている価値は、何処かにあるのだろうか。

 

 

 

 

@harukisn

暇つぶしの文

大学時代帰りの電車は全く人がいませんでした。

そんな時書いた文がメモに残って居たので載せておきます。

 

 

私の斜め前に、男が座った。
じっと、私の方を見た。
男は誰かに似ていたのだが、すぐには思い出せず、私はどうしていいか解らず、ただ目を反らすことしかできなかった。
彼がなぜ私を見ているのか。
私の顔になにかついているのかと思い顔をハンカチで拭ってみたけれど、何事でもなかった。
ではなぜ、男は私の顔を見ているのだ。
私は男の顔を見続けることを決意した。
男がまだこちらを見ているかは解らない。
私は心に決め、男の顔を見ると歯を出して笑っていた。
やはり、この顔はどこかで見たことがある。
電車のこの車両は、私と男しかいない。
二人だけの空間に、笑顔は妙に奇怪であった。
ガタガタと揺れながら、海辺の駅に差し掛かったところで、私はこの男の顔に似た人物を思い出した。
兄だ、兄に似ている。
ガサガサの肌や服装は似ていなかったが、なんだか似ていた。
兄が歳老いたらこうなってしまうのだろうか、そう考えた。
そう考えると歳老いた兄は好かない。
私はみすぼらしいからといって偏見を持つような人間ではなかったが、その男はなんだか奇妙で気持ちが悪かった。
なんなんだ、この吐き気は。
この男は兄とは別人なのに、なぜか兄と重ねてしまう。
自分で男を兄だと想像したのに気持ちが悪いとは、私は最低だ。
本当は、最初からこの男は私を見つめていたのではない。
私が知らぬ間に男を見つめていたのだ。
だから男も私に気付き彼なりに微笑んだのだ。
自意識過剰で相手に申し訳ない感情を抱いてしまった。
そんな自分自身を気持ちが悪いと思った。

 

 

暇つぶしに書いた文のようです。

こうして暇つぶししていたんだな〜と思うとなんだかおかしくなりますよね。

 

ではまた。

 

@harukisn