春ですね
こんばんは、春生です。
昨日大きな神社に行ったところ、桜が咲いていて春を感じました。
何年もまじまじと桜を見ていなかったので、とても懐かしい気分になりました。
バスの停留所に有る人気の無いベンチの隣に灰皿があったので、風を感じながら煙草を一本吸ったのですが、なんとも言えない気持ち良さがありました。
数年前に体調を崩してからはそんなに外に出る事も無くなり、長い距離を歩いたりもしていなかったのでいい運動になりました。
春と言えば新学期や新しく社会に出た人など様々いると思います。
私も一番近いもので言うと、大学に入った事を思い出します。
私が行っていた大学は高校と同系列の大学だったので、大した苦労もせずに入りました。
結局体調が悪くなり一年で辞めてしまいました。
体調を一年崩しただけで大学を辞めることになるとは高校三年の私は思ってもいないでしょうね。
人生ほんとに何があるか分からないなと綺麗事では無く、身に染みて実感しました。
新しい生活が始まった人もそうではない、いつものままの生活の人も、気だけはしっかりもって頑張ってください。
病は気からと言うのは迷信でも何でもないです、明るく生きてたら明るくなります。
大学を辞めて働いて辞めて、そんなこと言える立場でも無いですけれど、学生なんかは特にそう感じます、上からで申し訳ないです。
そしてそんな最近の私は就職に二回落ちました。
本関係の所を目星にしているのですが、私の意欲が伝わらないのか、経歴が駄目なのか、色々な要素は有ります。
もう二十歳になった事だし、いい加減作家になる夢なんて諦めるしかない、本関係の仕事に就きたいなんて夢を見るのもそろそろ辞めないといけないな、と感じています。
「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」ということわざにもある通り、もう私はただの人に成り下がったんでしょう。
作家になりたいのに、最近では無論投稿すらしていませんし、中々家から出る事もしていないせいか、小説投稿を始めた十五歳の頃に比べてネタも出ません。
元々二十歳になる迄になにか成果を残せなかったら辞めよう辞めようなんて考えていたのに、引き摺って今しょうもない大人になってしまいました。
簡単に諦めがつくのなら遠に諦めていたのでしょうが、何故子供の頃から頑固で、一つ集中するものがあればその事しか見えない性分でして、中々二十歳になっても諦めきれない部分があります。
けれど時が来たらスっと居なくなるのだろうな、と感じます。
才能は無いんでしょうが、まだとりあえず少し自分を待ってみたいと思います。
最後まで見ていただきありがとうございました。
ツイッターもやっておりますので、よろしければどうぞ。
@harukisn
未完の一作「無題1」
「いいかげんにしろよお前。早く小説書け」
椅子の上に胡座をかいて好きな作家先生の新刊小説を読んでいた僕にそう言ったのは、友人兼担当の藍川豊だ。
担当とは何の担当なのか、そこに疑問がいくだろう。
僕は坂見栄太郎と言う名前で、職業は一応「作家」をしている。
そして藍川が何故来たのか、どうやら今日は書かない僕を奮起させに来たらしい。
「書いてるって。これは勉強じゃん、勉強」
これは僕の決まり文句である。
藍川は頻繁に原稿を催促しに来る。
スローペースで書く作家だというのは藍川も承知だろうが、僕はそれを悠然と破るため、頻繁に来るのだ。
そしてその度に他の作家先生の小説を熱心に読んでいる所を発見される。
見られた時に咄嗟に出る言葉が「これは勉強だから」なのだ。
作家にとって他の作家先生の小説を読むのも一つの仕事、勉強だ。
「お前いつもいつも勉強勉強って言って伸ばすけど、今回はお前がネタ浮かんだからって言って俺に相談してきたんだろ?そのネタでとりあえずあらすじだけ書くって言って、もう1ヶ月経ってんだぞ?あの坂見が動いたって言うから職場でも話題になってたのに、もう1ヶ月も経てばみんな痺れ切らしてるぞ」
「んーごめん。今回は僕が悪い、でも何となくかけるかな〜と思ってたんだけど、突然スランプになって書けなくなった」
まあスランプと言っても、僕の場合、常にスランプなのだ。
「あ、これなら書けそう」と思っても、途中で絶対に行き詰まって書けなくなる。
これも日常茶飯事だ。
その度に担当の藍川は上司に「なんとしてでも書かせろ」ときつく言われる。
「とりあえず上がった所まで見せて」
藍川はため息をついて、原稿が上がった所までだけ見せるよう要求した。
「本当に少ししか書いてないけど」
「いい」
僕は一枚しか出来ていない原稿を渡した。
藍川は何も言わず受け取り、何も言わず読み始めた。
時折赤ペンを取り出し何かを書いているようだ。
五分くらいたっただろうか、やっと藍川が顔を上げた。
「どうだった?」
まず声を出したのは僕だった。
いくらボツにされる文でも意見は聞いておきたかった。
「悪くは無い。でもこれじゃ長編小説にするのには、ネタが弱すぎる。だから行き詰まるんだろ」
「ご最もです」
確かに長編にしようと書いたが、小説に含むネタが少ないのとインパクトも無い、だから行き詰まったというのは自分でも気付いていた。
「とりあえず、赤ペンで俺の意見は書いといたからチェックしといて」
「…はい」
「今回は無理そうだから、上にも言っとく」
そう言うと藍川は帰る用意をし始めた。
俺はとにかく落ち込むしかなかった。
藍川に悪い事したな、と心から思った。
友人と言えど今は仕事仲間でもあるため、早くいい原稿を出してやりたいとは思っているが、今の僕では無理なのだ。
最後に藍川はコートを着て「帰る」と言い、玄関へ向かっていった。
「藍川、ごめん」
今の僕は謝罪しか出てこない。
「あ、坂見。明日駅前のカフェに三時集合な」
「は?」
「ネタがないネタがないって言うなら、外でネタ探しでもすればいい。何かピンとくるものはあるだろ」
確かに僕は作家という名のニートなのだ。
滅多に外に出ないため、ネタも尽きる。
「俺も明日は休みだし、仕方ねえから付き合ってやるよ」
そう言い残して帰っていった。
僕はリビングに戻りコーヒーを淹れ、ため息をついた。
「はあ、外か。いつぶりだろ」
外に出る恐怖もあるが、すっぽかした時の藍川を想像するのも恐ろしい。
「早く寝よ…」
神様よ、明日を無くしてくれ。
未完の一作でした。
未完のモノは山ほどあり、この先書くか書かないかは分からないものはどんどん載せていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
@harukisn
意味の有る人生
こんばんは、春生です。
最近仲の良かった高校からの友人と縁を切り、若干のもやもやを抱えています。
二ヶ月前にとある相談をしたら何かが気に触ったらしく、その時に友人に謝罪してその時は普通に穏便に終わったのですが、二週間前にとある質問のメールをした所丸一日返ってこなく、そのまた一週間後にもう一度謝罪したにも関らず三日返信がなく、三度目の正直と言いますか、三回目の謝りメールをいれ、やっと返信が来たと思ったら二ヶ月前の事で失望したやらなんやらと、一度終わった事を蒸し返され、あの件で呆れたとウダウダ文句を垂れてきたので面倒になり、こちらも長文で「ただ存在として面倒でメールを返すのも面倒だったから、返信しなかった理由として二ヶ月前の事を蒸し返してるのでは?」と言ったところ、図星だったのかあちらから何も言い返せなくなり、私も面倒だったのでもうこちらから二度と連絡しないと吐き捨て、さようならをしました。
その人とは五年ほどの付き合いになりますが、こんな簡単に、些細な事で関係が終わるんだなー、と改めて人間関係の怖さを実感しました。
そのうちどうせ切れていた関係ならはっきりさせといて良かったな、と今は思っています。
さてタイトルの話ですが、この間「今は両親が居るからいいけどいつかみんないなくなるんだよな」と言うような質問をされました。
「そりゃあ居なくなるよ、自分もあなたも」と返しましたが、居なくなった時に次の生きる糧が無ければ前に進めない、とその人は嘆いていました。
「今そんな事考えても、その時にならないと分からないこともある」と慰め、私の生きる理由について語りました。
私は生きづらさを昔から感じていて、最近自分が高機能自閉症だと言うのを知ったのですが、知るまでの間は本当に周りと合わないことだらけで生きてる意味も分からないぐらいに心が病んでいて、仕事も上手くいかず、夢である物書きになることも出来ず、死のう、二十歳までには死のう、と思っていました。
もちろん自殺未遂もありました。
けれどそんな時、目の前に今の愛犬であるチワワが舞い降りました。
その時に私は生きる意味を見つけました。
この子に生かされているのなら、生かされている間は生きてやろうと思いました。
生かされてるいる間は普通に生きてやろう、と思い始めて一年そこらで、拒食症気味になっていた体重も元に戻り、今は元気を取り戻しました。
物書きを諦めた訳では無いけれど、今までは自分が生きていたことを、自分が死んだ時に多くの人に認知されることが意味の有る人生だと思い、文を書いていましたが、思考も変わり普通に働いて人生経験を豊富にさせてやろうと言う思考に変わりました。
話が逸れましたが、私は生きる糧が無くなったら別に無理に生きる必要も無いと思います。
賛否両論の嵐になるであろう言葉かも知れませんが、私も愛犬が居なくなれば生きている意味も人生として意味の有る人生では無くなるので、無理に生きようとも思いません。
けれど、それでも生きようとすれば生きる糧は自分の前に舞い降りてくると思います。
それは偶然ではなく、必然として、当たり前のように降りてくると思います。
私も今の愛犬に出会う前に飼っていた愛犬がなくなった時、もう生きている意味もないと思いましたが、そこから何とか半年生きて、生きる糧を見つけました。
彼は私を助けるために生まれてきてくれた、と勝手に馬鹿馬鹿しく思っていますが、生き永らえた先に生きる糧は必ずあると思います。
結論は親が居なくなったら〜と考えるよりも今を共に生きて、それでもいつかは無くなる、けれどその先にまた新たに生きる糧は必ず有りますよ、と言うのを伝えたかっただけなんです。
人それぞれの考えなので正解は無いですが、死のうと思ってもその先に必ず救われるものが有ります。
あなたを必要として生きる糧にする者も居ます、互いに生きる糧になる存在が出てきます。
その時に幸せを感じたら、それは意味の有る人生として変わってくると思います。
長々と失礼しました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
@harukisn
思い出したくない事に限って心に隙を見せたら思い出す
こんばんは、春生です。
思い出したくない事に限って、心に隙を見せると思い出しますよね。
いわゆる黒歴史のようなものとか、あのときやらなきゃ良かったな〜みたいなもの、特に対人関係が一番多いです。
だいぶ前に些細な喧嘩で仲が悪くなり、もう縁を切った人の事をよく頻繁に思い出します。
特に何気ない日常の中で思い出した時は心が濁ったよう苦しいような感じになって、早く忘れよう早く忘れようと思ってもなかなか忘れられないんですよね。
記憶から消しされたらどれぐらい楽になるんだろうなぁ、なんて思っても消えてはくれないんですよ。
相手はもう自分の事も気にしていないと分かってても、ふと思い出した時に私は気にしてしまうタイプなんですよね。
その人との共通の友達がいるので、Twitterなどでたまーに見かけることもあるのでそれが余計に記憶を蘇らせるきっかけになっていると思います。
一度思い出さないよう、Twitterを辞めてみようかとも思ったのですが、無かったら無かったで不便な事もあってなかなか消すことも出来ないので、Twitterをしているうちはその人との過去を思い出す事になるんだと思います。
もう二度と関わらないし、お互い見て見ぬふりをしていても、余計な感情が入ってしまい、思い出すと言うのをなんとかしたいです。
いつかは互いに忘れるのでしょうが、時間が解決するにも忘れるまでにどれぐらいの時間がかかるのか、それまで思い出す度に何度も何度も心が苦しくなる思いをして行かなければなりません。
人間関係の悩みはつきません。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
2018.2.23
物欲のなさと最近
こんばんは、春生です。
私は三月の十三日が誕生日なのですが、彼にどこか旅行に行こう、行きたいところはないか、と聞かれました。
私はこれといって行きたいところも無ければ、欲しいものも無いので、無いと言いました。
探しといて〜と言われなんとか探して、青森の斜陽館は?と言う風になりました。
それでもなんだか別に今すぐ行きたい訳でも無いしな〜と渋っていました。
そこに行けば小説を書く意欲も少なからず出る様な気はしますよね。
物欲もですが、ゲームと言うものはすぐに飽きますし、小説は自分で買えますし、うーんと悩むところですね。
昔はすごく物欲もあったのですが、今置かれている状況ではこれが欲しい、あれが欲しい、ここに行きたい、と言うのも無いんですよね。
何かいい自分の気が乗る様なスポットがあれば、行ってみたいものですね。
最近は新しい犬がうちに来まして、しつけやらご飯やらで一日終わっています。
小説を書くにも案も浮かばず、スランプも続いています。
いつか作家になりたい、なんて思ってた頃はもっと意欲もあって、人生も楽しかったなぁなんて思い返したりもしています。
それでもまだ自分の文で〜と夢見てるので、まだ書いてやるって思いも増して来た様な気はします。
長文の文章は慣れていないので、なるだけ長文を書いて慣れていかないととも思っています。
こうしてブログは地味に更新をしているのに、物語となると手が進まないものですよね(笑)
そして今まで星空文庫で公開していて、非公開にしていた書き始めの頃の小説をぼちぼち手直ししてあげ直そうかと思っています。
その際にはまたお知らせします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
@harukisn
人に馬鹿にされる方法を覚えたらもっと面白いものが書けるかもしれない。
こんばんは、春生です。
内容はタイトル通りなのですが、人に馬鹿にされる方法を覚えたらもっと面白い物が書けるのかもしれない、なんて思ったのはついさっきの話です。
今まで自分が書いてた小説なるものは、小説とエッセイの中間のようなものでした。
自分の経験を、話を変えて書くというのはよくありますが、今までのものを読んでて思ったのは、自分を棚に上げてるな〜という事でした。
そんな文を書いて何が面白いのか?と思った時に、何も面白くないな、と気付いたのがついさっきの話です。
ならば今度は自分の経験を如何に、馬鹿にしてもらうか、と言うのを考えて書いてみよう、と思ったのは今です。
いつになるかわかりませんが、長ったらしく諦めずに書いてみようかなと思ってるものがあります、という話でした。
@harukisn
春生がネットに小説をあげるのは何故か。
こんばんは、春生です。
2014年1月から私はネットに小説を上げ始めました。
「解離性」というタイトルで、短編小説とも言えぬエッセイじみたものを投稿しました。
そして次の作品「働者と怠者」を投稿しました。
今はどちらも非公開となっておりますが、働者と怠者は私の高校時代のバイトの苛立ちや不満をそのまま小説風に書いたものです。
これを投稿して面白いと言ってくれる人が沢山いたり、前にやっていたアメブロにもコメントで好評の様子が伺えました。
私は本当に無名だったので、読んでくれる人が居て、私に目を向けてくれる人が居たことだけが私にとって嬉しいことでした。
そこで私は一人でも見てくれるなら書き続けたい、と「一人の為」に書き始めました。
けれど3年くらい経って見返すと、ナニコレというような感じで自分が恥ずかしくなり非公開にしました。
3年経ってからの作風は働者と怠者とは大きく変わって、人間の汚いところ嫌なところ、社会の不満、自分への圧力をかけるような文等、マイナスなものに変わって居ました。
正直言うとこのせいで読者も減りに減りましたね。
閲覧も評価もコメントも0なのは、慣れて居ますが、それが何回も続くとなるとちょっと私的にはキツかったです。
「一人の為に」をモットーにやってきて、誰も居なくなった時、もう私は書かなくていいんだと思いました。
私は誰かが私の文が読みたいと思ってくれるならばかける、それが糧となっていたので、自分の居場所がなくなったような気がして、大学に入ってから「もう小説は書かない」ときめ、過去の小説全てを非公開にしました。
ツイッターも消し、小説というステージから足を洗いました。
それから半年か一年して、大学の時に今の彼と出会いました。
彼もまた小説が好きな人だったので、さらっと「実は小説書いてる」と言うと、見せてと言ってきました。
私は正直恋人、身内に自分の小説を見られるのが恥ずかしかったので躊躇ってました。
けれど彼に読ませると「続きは無いの?」と言われました。
彼は私の小説は面白いと言ってくれました。
そしてその時、小説を書き始めた時のことを思い出しました。
「一人の為に」と言うモットーを思い出しました。
また読んでくれる人が出来たと思うと俄然やる気が起きてきました。
小説とツイッターのアカウントを復活させると、実は待ってくれていた人もいたみたいで本当に嬉しかったです。
そして今度は何のために小説を書きたいのか考えた時に、自分の小説で、一人でも多く心を動かしたいと思いました。
私なんかの小説で心を動かすなんて無理だとは思いますが、たまたま私の小説を見て傷ついた何かを癒せるような文が書ければなと思います。
だから私は無名だろうが底辺だろうが関係なく小説を投稿し続けています。
いつか形になるまでやり続けたいです。
余談ですが私が2014年まだ高校1年生の時に始めて投稿した小説に目をつけて、「私のオススメ」として働者と怠者を自身の小説サイトで紹介してくださった方があります。
その方はネット作家、と言う呼び名で良いのかわかりませんが、電子書籍も出している方です。
この文を見ていたら確実にご本人様はわかるかと思います。
名前を出していいのかわかりませんので、名前は出さないでおきます。
でもその方が「誰でも書けそうで書けない文」と言ってくれた事、今でも忘れていませんし、その方のおかげで小説を書き続けられたのだと思います。
本当に感謝しています。
@harukisn