春生がネットに小説をあげるのは何故か。
こんばんは、春生です。
2014年1月から私はネットに小説を上げ始めました。
「解離性」というタイトルで、短編小説とも言えぬエッセイじみたものを投稿しました。
そして次の作品「働者と怠者」を投稿しました。
今はどちらも非公開となっておりますが、働者と怠者は私の高校時代のバイトの苛立ちや不満をそのまま小説風に書いたものです。
これを投稿して面白いと言ってくれる人が沢山いたり、前にやっていたアメブロにもコメントで好評の様子が伺えました。
私は本当に無名だったので、読んでくれる人が居て、私に目を向けてくれる人が居たことだけが私にとって嬉しいことでした。
そこで私は一人でも見てくれるなら書き続けたい、と「一人の為」に書き始めました。
けれど3年くらい経って見返すと、ナニコレというような感じで自分が恥ずかしくなり非公開にしました。
3年経ってからの作風は働者と怠者とは大きく変わって、人間の汚いところ嫌なところ、社会の不満、自分への圧力をかけるような文等、マイナスなものに変わって居ました。
正直言うとこのせいで読者も減りに減りましたね。
閲覧も評価もコメントも0なのは、慣れて居ますが、それが何回も続くとなるとちょっと私的にはキツかったです。
「一人の為に」をモットーにやってきて、誰も居なくなった時、もう私は書かなくていいんだと思いました。
私は誰かが私の文が読みたいと思ってくれるならばかける、それが糧となっていたので、自分の居場所がなくなったような気がして、大学に入ってから「もう小説は書かない」ときめ、過去の小説全てを非公開にしました。
ツイッターも消し、小説というステージから足を洗いました。
それから半年か一年して、大学の時に今の彼と出会いました。
彼もまた小説が好きな人だったので、さらっと「実は小説書いてる」と言うと、見せてと言ってきました。
私は正直恋人、身内に自分の小説を見られるのが恥ずかしかったので躊躇ってました。
けれど彼に読ませると「続きは無いの?」と言われました。
彼は私の小説は面白いと言ってくれました。
そしてその時、小説を書き始めた時のことを思い出しました。
「一人の為に」と言うモットーを思い出しました。
また読んでくれる人が出来たと思うと俄然やる気が起きてきました。
小説とツイッターのアカウントを復活させると、実は待ってくれていた人もいたみたいで本当に嬉しかったです。
そして今度は何のために小説を書きたいのか考えた時に、自分の小説で、一人でも多く心を動かしたいと思いました。
私なんかの小説で心を動かすなんて無理だとは思いますが、たまたま私の小説を見て傷ついた何かを癒せるような文が書ければなと思います。
だから私は無名だろうが底辺だろうが関係なく小説を投稿し続けています。
いつか形になるまでやり続けたいです。
余談ですが私が2014年まだ高校1年生の時に始めて投稿した小説に目をつけて、「私のオススメ」として働者と怠者を自身の小説サイトで紹介してくださった方があります。
その方はネット作家、と言う呼び名で良いのかわかりませんが、電子書籍も出している方です。
この文を見ていたら確実にご本人様はわかるかと思います。
名前を出していいのかわかりませんので、名前は出さないでおきます。
でもその方が「誰でも書けそうで書けない文」と言ってくれた事、今でも忘れていませんし、その方のおかげで小説を書き続けられたのだと思います。
本当に感謝しています。
@harukisn
人生楽しい、楽しくない
こんばんは、春生です。
タイトルにも書いていますが、人生楽しいか楽しくないかそう聞かれた時、私は今どちらなのかと改めて考えました。
改めてそれを考えるとなるきっかけは、色んな人と会話することです。
楽しいという人もいれば楽しくないという人もいます。
人生がどん底でもプラスに出来事を捉えて楽しいと思う人もいれば、優雅な生活を送っていてもつまらないとマイナスに考える人もいます。
そんな中私は一人の人を面白いなこの人、と思うようになりました。
その人は幼少期色々な問題を抱えて家庭環境が劣悪な状態でどん底をさ迷っていました。
けれど、会って間もない私に笑ってその家庭環境を話してくれました。
全く辛い様子も無く、寧ろその家庭環境を作った親を貶しつつ、どこか感謝している様でした。
その人の話を聞いた時、私はこの人は凄い人だなと思いました。
私も幼少期は母子家庭で家のお金が10円しかない、家賃もまともに払えない、そんな生活を送っていました。
それを誰に咎めることも無く生活して今、無事成人を迎えました。
けれどその中でも色々なことがあり心を病み、死ぬ1歩手前まで来たこともありました。
その中でどうして自分はこうなったんだろう、と考えた時に幼少期の事を思い出し、それを理屈にしました。
初めて親に「こんな家庭に生まれたからこうなった」と言った時のことも思い出しました。
いい歳した大人になって言うことじゃないと、今思えばそう思うことができます。
それを理屈にしなければ、生きてる意味も見い出せないと思っていました。
でも先に話したその人は違いました。
同じ劣悪な環境にいたにも関わらず、その環境を咎めることも無く、とてつもなく出世しました。
その人がそこまで辿り着くのにも色々な出来事があったかと思います。
けれどそれをプラスとして捉えられるほど、その人は人間として凄いなと改めて思いました。
私は家庭環境を笑って誤魔化す事も、プラスに捉えることも出来ない、人間としてクズだったに過ぎません。
最初の話に戻りますが、人生楽しいか楽しくないか、という話ですが、私は今どちらでもありません。
楽しいか楽しくないか、それは一年前までは楽しくないし生きてても仕方ない、と思っていました。
けれど今はどちらでもない、とはっきり言えます。
楽しくないというのはその環境に甘えているからなのだ、とそう思います。
楽しくない環境でもプラスに捉えて楽しいに変えられるような人間になった時、私は改めて人間として少し成長するのだと思います。
まずは楽しくないよりもどちらでも無い、に変えることが重要なのかと思います。
楽しくない、を一気に楽しいに変える事よりも、どちらでもない、という楽しい楽しくないの中間に立つことで、楽しいという少しの景色も見えてくるのだと思います。
ならばどちらでもない、と言うのは、楽しくない、よりも成長したのでは無いでしょうか。
そう気付くのにも、人との巡り合わせなのでしょうね。
文がまとまっていませんが、読んでくれてありがとうございます。
ではまた。
@harukisn
春生。成人する
こんばんわ、春生です。
おめでたいことに今年成人を迎えました。
とはいったものの、私は成人式には出席しておりません。
成人式の衣装を着るのにもかなりお金がかかりますし、節約ですね(笑)
けれど同窓会には参加させていただきました。
私は部活のメンバー私含めて6人のメンバーで行ったのですが、会場が狭く更に人が多すぎてすぐに逸れてしまいました(笑)
私はメンバーの5人に会えればそれで良かったのですが、まさか逸れるとは思いませんでした。
ひとりプラプラしている中、私を覚えている人たちに話しかけられて、私の事なんか覚えている人居たんだ、と驚愕しました。
成功して有名になった同級生、色んな人がいましたが、顔と名前が一致せず…
こういう場所ほんとうに向いてないな〜と思いました…(笑)
でも色んな人と話すのも経験かなーと思いましたね。
@harukisn
我、努力が足りない也
こんばんは、春生です。
今年たまたまショッピングモールで書いた絵馬の内容が「自分の小説の閲覧が増えるように」だったのですが、一緒に居た人物に「お前はまず書け」と言われたのですが、ごもっともでした。
去年たまたま祖母の家に親戚のおばさんが来た時にも「志乃さんは小説で食べていきたいの?それとも趣味でやりたいの?」と言われました。
その質問、色々な身内からよく言われますが、正直どちらでも無いです。
確かにもし自分の小説で売れて飯が食っていければそれは人生楽しくなるだろうな、と思います。
けれど今の状態は確かに努力が足りないせいもあり趣味状態になっていますね。
私が小説をネットに投稿するようになってからもうすぐで約6年になろうとしています。
初めて投稿したのが15歳、そしてもう21にもなります。
ああそんな昔から投稿してたのになんの実りもないのか、とも思ったりします。
でも15歳の頃に初めて投稿した時、その時の感情は「売れる売れないとかの問題じゃなく、自分の文書で一人でもいいから誰かの心を動かしたい」そういう思いでした。
今もそれは変わっていません。
作家になりたいなら書け、なる気がないなら趣味程度で辞めろ、という以前の問題かもしれません。
私は一人でも自分の小説を見てくれる人がいれば書き続けますし、誰か一人でも自分の小説で心が救われて心を動かせたならそれでいいと思っています。
結局の所自分でも曖昧ですけどね。
また努力がどうとかの話になりますが、その親戚のおばさんに「自分の作品見てもらうだけならツイッターとかで適当にフォローしあってお互い見れば自分の閲覧数だって上がるんじゃない?」と努力してないみたいな感じで言われたことがありました。
それに関して言ったのは「私はフォローしてフォロバされて、いかにも自分の小説が好みでもなさそうな人同士で、色々な手口で閲覧数を増やしても意味がない」という事でした。
確かにツイッターで沢山フォロワーを増やして相互になって小説を宣伝して自然と有名になっていく、という手も無きにしも非ず、というか一番有名になるには近道かもしれません。
でも私自身興味のないものを見る気もないし、その感情は他の人も同じだと思います。
私も確かに小説を投稿したらツイッターで投稿しました程度には宣伝してますが、全く閲覧数も増えません。
それでも別にいいと思っています。
そのうち知らない誰かがたまたま読んで、たまたま心を動かせたならそれでいいです。
大勢の閲覧数やフォロワーを増やすことはもうどうでもいいのです。
一人でも自分の文章で何かを変えてあげられたらそれでいいと思っています。
まだ話足りないですが、ここら辺にしておきます。
まとまりのない文章で申し訳ない。
それでは。
@harukisn
2017年の春生と2018年について
あけましておめでとうございます、春生です。
皆様2017年はどのような年になったでしょうか。
そしてこの記事を見ている皆様が2018年、良い年になるよう祈っております。
私の2017年は本当にゴミ同然、いやゴミ屑同然の1年になりましたので
一気に紹介しましょう。
1月:前半 うつ病診断 悪化 自殺未遂
後半 今の愛犬出会う
2月:狐憑きだと言われお祓いをされる
(ちなみに2回とり憑かれました)
3月:私の誕生日でしたがなにもしてません
4月:大学を辞めるか迷う
(もっと文に携わりたいと改めて思った)
5月:大学を辞める(病院と相談した結果)
6~11月:コンビニで地道にアルバイト
12月:アルバイトを辞める
さらっとこんな感じですが、前半以外は意外とそうでもなかったですね、すみません。
2018年の目標ですが、やはり文で何かできればなと思っています。
沢山書くのももちろんですが、一人でも多くの心を動かせる文がかけるよう頑張っていきたいと思います。
そして2017年Twitterを再開し、待っていてくれた人もいたので本当にありがたかったです。
@harukisn
私が何回も見た映画
お題に沿って何回も見た映画を三つ紹介しようと思います。
言わずと知れた名作のチャーリーとチョコレート工場ですね。
元々ティム・バートン監督が好きで、彼の作品をチェックしているのですが、何回も観ているのは特にチャーリーとチョコレート工場です。
ティム・バートン監督の独特な世界観とジョニー・デップの演技力が見物ですよね。
ティム・バートン監督とジョニー・デップのタッグの映画はシザーハンズやダーク・シャドウ等数多くありますが、チャーリーとチョコレート工場は子供の時に見ても面白い、大人になっても面白い、このいつ見ても心擽る変わらない所がこの映画を何回も見てしまう理由の一つです。
子供時代に観た時はなんだか楽しげな工場見学、と言うような感想でしたが大人になってから観たらまた違う観点で見る事が出来ると思います。
一例で子供は貪欲で自分の思うがままに動き、それが仇となる、なんてのがまずポンと出てきます。
こちらはディズニーの映画、ヘンリー・セリック監督の作品です。
原案、制作にティム・バートン監督が関わっているので、一見ホラーのような、それでいてファンタジーな独特な世界観のある映画です。
タイトルにある通りクリスマスのお話かと思いきや、ハロウィンのお話でもあります。
いつも脅かすのが仕事のジャックが、ハロウィンに飽き飽きし、たまたま開いたドアの先で見たクリスマスの世界に憧れ自分がサンタになり、子供達を喜ばせようとします。
ネタバレになるのであまり言えませんが、やはり脅かすのが仕事のジャックやハロウィンタウンの者達では中々上手くいかず苦悩します。
その中でその場にあった歌が流れミュージカルの様な雰囲気のあるところも好きです。
特に歌の中でもウギー・ブギーの曲が大好きです(笑)
この曲が好きで見てるという友人もいます。
イカサマが得意でギャンブラーのブギーマンがジャズにのせて歌うのがとてもかっこいいです。
英語版、日本語吹き替え版、両方ともかっこいいです。
これは今年公開されて二週連続で見に行った作品です。
二週連続で行ったのには理由があり、入場特典で主人公の私と黒髪の乙女の文通、書き下ろし冊子が公開一週目と二週目に貰えたからです(笑)
私は原作者の森見登美彦氏の大ファンで、四畳半神話大系のアニメ以来のアニメ映画だったのでとても楽しみにしていました。
森見登美彦氏の特徴である京都の街並みがとても鮮明に描かれていました。
私の高校の修学旅行先が京都で、友達の手伝いもあり、よく森見作品に出てくる場所を巡礼した事を思い出して、なんだか懐かしくなりました。
夜は短し歩けよ乙女は黒髪の乙女が本当に面白いです。
酒飲み対決の黒髪の乙女は本当に勇ましいですね、映像では尚更でした(笑)
自由気ままに生きる黒髪の乙女、それを追いかける私(先輩)、この相反した二人の駆け引きが見物です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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ブログ名とハンドル名の由来
今回はじめてお題に挑戦したいと思います。
まずブログ名ですが、先程変更いたしました。
「春生志乃の喜怒哀楽」と言う一番初めのタイトルですが、日常的に喜怒哀楽にが沢山ありそれに沿った内容にしようと決めたのですが、全く沿れないので、なんか違うな、と思い心機一転、改めて「徒然ど直球ストレート」という何ともださいブログ名となりました。
なんでも直球にストレートに自分の思いを伝えたいという理由があります。
敬語使おうが敬語使わなかろうが容赦なく直球に、これからは書いていこうと思っています。
もう変な堅苦しいのは疲れましたので(笑)
次にハンドル名です。
ハンドル名に関してですが、上の春生は私が春に生まれたので、そのまま「春生」下の志乃は本名から取っています。
特にこれと言って特徴的な名前、という訳でもありませんが、五年前からこのままなのでもうこれでいいや、という感じですね。
閲覧ありがとうございました。
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